こんにちは、ライターのうさんちゅです。
今日はとっても個人的なお話をつらつらと書きます。
それは
教師の仕事を辞めたら、本当の幸せとは何か気づいて手に入れられた
というお話。
皆さんにとって幸せとは何でしょうか。
- 富を得ること、お金を稼ぐこと
- 夢を実現すること、成功すること
- 誰かのために役に立つこと
- 自分に自信をつけること
- 好きなものに囲まれること、好きなことをすること
- 大切な人と過ごすこと
沢山ありますよね。
人によって幸せのカタチはそれぞれ違うと思います。でも、自分にとっての幸せとは何なのか分からず探している方が多いのではないでしょうか。
私のつたない経験談から、少しでも自分の幸せとは何なのかについて考えてもらえたら嬉しいです。
自信がなかった学生時代
仕事を辞める前の私にとっての「幸せ」についてお話しするために、少し時間をさかのぼります。
私が仕事を辞める前に考えていた幸せは、
誰かの役に立って(認められて)自分に自信を得ること
でした。
この「誰か」は定まっておらず、「どうやって」役立つのかも曖昧でした。
「自分に自信を得ること」が幸せ=自分に自信がなかったのには、小さい頃からの経験が関係しています。
家庭に居場所がなかった
私は4人姉弟の一番上の長女として生まれ、一番下の弟とは12歳離れていました。
両親は収入が少なく、日々子育てと仕事に追われる毎日。
一時は家庭の経済状況がとても悪くなり、両親が毎日のようにケンカを繰り返したり、ストレスをぶつけられることもありました。
そんな中、私は忙しい両親の迷惑にならないように過ごしたし、妹弟の世話や家事を手伝ったりしていました。
それが家庭では当たり前だったし、褒められたことはほとんどなかったです。
今となっては、両親の苦労も理解できて、仲の良い家族ですが、
中学生頃から、「うちの親は最低だ」なんて思うようになってしまい、家を飛び出したり、両親にだまって学校を早退して街中をウロウロするようになりました。
つまり、
家庭で自己肯定感を得られなかった経験が私の人生においてかなりマイナスの重みになってしまったんです。
学校で褒められても自信はつかなかった
中学生になるまでは、「褒められたい」「認められたい」欲求があったわけではありません。
小学生時代は、勉強が素直に好きだったし、学校での生活が大好きでした。
クラス委員もやったし、部活動も副部長を務めたりしてましたが、単純に学校を楽しく過ごしたいと思ったからです。
ただ、面談での親の一言に傷ついたのをとても覚えています。
担任の先生から「周りをよく見てすすんで手伝いをしたり、本当に助かってます」と言われた時に、
「外面だけはいいんですよ」
と母が話したんです。謙遜のつもりで言ったのだと今では思うのですが、小学生だった私は、
外面はいい=本当は悪い子。家では悪い子。
と思ってしまったんですね。
それからというもの、「私って、良いことをするのはわざとしているのか?」と考えるようになってしまいました。
高校で出会った恩師からもらった自信
そんな自己肯定感が低い私でしたが、高校に入ってから自分に自信を持てるきっかけに出会いました。
それが、高校で出会った恩師の言葉でした。
「うさんちゅがいて頼もしい。また色々頼むな」
言葉だけ見ると、お世辞かもしれない、ただ利用されてるだけかもしれないなんて思ったりもするのですが、
彼がかけてくれた言葉は、先生としてではなくて、一人の人間からかけられた嘘偽りのない言葉で素直に嬉しかったし、そんな言葉をかけてくれる存在に自分もなりたいと思うようになりました。
教師の仕事はやりがいがあったけれど虚しさが多かった
恩師のように自信のない生徒や家庭で困ったことがある生徒を支えたい。
そう思い、教師の夢を叶えた私でしたが、初めは思うようにいかないことが多くありました。
生徒のエネルギーに圧倒されたり、生徒の成長を感じてやりがいを得て、それが仕事をする原動力になっていました。
生徒の支えになるどころか、生徒に励まされる毎日。
夢を叶えたのに
初めはうまくいかないことだらけでしたが、教師としての経験を積むうちに、恩師のように生徒の支えになってあげられた、と実感できるようになっていました。
でも、私はどこか虚しさを感じていました。
自分の幸せは、別にあるんじゃないか。
そう思うようになっていきました。
適応障害
転勤した2校目の学校は、英語に力を入れている高校で毎日英語教師に課せられた仕事量は膨大でした。
生徒と関わる時間は削られ、事務的な仕事に追われ、前任校で得られたやりがいもなくなっていました。
結婚して夫と2人暮らしを始めた私は、仕事と家事の両立がうまくいかず、休む暇のない毎日にとうとう身体を壊してしまったのです。
夫と相談した末、仕事を辞める決断をしました。
仕事を辞めてやりたいことをやってみたけどダメだった
仕事を辞めた私は、やりたいことをやって幸せを掴もうとしてみました。
これまでの自分をリセットして、新しい自分を見つけようとしてみたんです。
- 旅行
- アクセサリー作り、販売
- 友達と遊ぶ
- 英語の勉強
- 映画鑑賞
- ブログ
- ライターの仕事
- 料理
- 資格取得
教師時代貯めたお金と自由な時間があったのと、夫がやりたいことをやればいいよ、と背中を押してくれたおかげで自分のやりたいことを半年自由にすることができました。
初めは、縛られるものもなく色んなことが出来て楽しかったのですが・・・・
また虚しさが襲ってきました。
幸せはすぐそばにあった
退職して半年が過ぎた頃、妊娠していることがわかりました。
正直、戸惑いました。
やりたいことをやった中で、ライターの仕事にやりがいを感じ、もっと上達して仕事を成功させようと思っていた矢先の出来事だったのです。
子どもは欲しいと夫と話していましたが、子どもは授かりものだからという考えだったので、時期は真剣に考えていませんでした。
でも、妊娠をきっかけに、私は自分の幸せが何なのか気づけたんです。
仕事を続けていたら幸せに気づけなかった
きっかけをくれた妊娠は、仕事を続けていたらできなかっただろうと思うんです。
子どもを作るなら、健康的な食事を毎日して作りたい
そう考えていた私にとって、仕事で忙殺される日々では実現不可能でした。
昼食はコンビニで済ませていたし、帰宅も20時を回ることがほとんどで疲れ切った身体で料理をする気力はなくてお惣菜や外食で済ませることが多かったです。
夫婦の夜の営みもお互い疲れ切ってしまい、休日さえも暇があれば寝ていたい・・・と、お互いの気持ちがうまく向き合えないことが多かったです。
仕事を辞めた今、食事はなるべく自炊を心がけるようになったし、結局全てを自炊にするのは難しいと開き直れました。
また、家事を私がやって夫の負担を減らしたり、心に余裕が持てるようになって夫の立場を考えて行動できるようになれたのは大きいと思います。
つわりで深まった夫婦関係
妊娠がわかってすぐ、つわりが始まりました。
話には聞いていたけれど、これがすごくきつかった。
家事がうまくこなせなくなり、ほとんど何もできない日が多くストレスが溜まっていきました。
そんな私に夫も戸惑っていたんだと思います。どんな言葉をかけたらいいのか、どうしたらいいのかわからずにいました。
私は私で、夫が何もしてくれないことに不満が溜まり、ある日爆発してしまったんです。
泣きわめき、夫の枕カバーをびりびりに破るという・・・・(笑)
その日の夜、2人でとことん話し合いました。
私の気持ち、夫の気持ち、これからどうしていくのが良いか・・・・
普段なかなか自分の気持ちを話さない夫。
溜めにため込んでから爆発してしまう私。
この話し合いはそんな二人にとって大切な時間でした。
つわりは他にも大切な時間をくれました。
旅行以外で夫と過ごす時間が一番長い年末年始をくれたんです。
何か特別するわけでもない、テレビを観たり、ゲームをしたり、買い物したり・・・
何気ない会話や何もしないで一緒にいる時間に、
そう、「幸せ」を感じたんです。
夫の言葉がすべてだった
つわりもおさまった妊娠6か月頃。
仕事は再開していませんでしたが、家事も一通りまた出来るようになり、夫に弁当を作るまで料理の段取りが上手くなっていました。
そんな時、夫が仕事に疲れて弱ってしまったことがありました。
私が適応障害でダメになった時、夫に支えてもらったように、自分にも何か出来ないかな。
そう思って、ゆーっくり話を聞いてみました。少しでも楽になってもらいたいな。
あまり弱音を吐きたがらない夫が少しずつ話しはじめ、私はその言葉を拾って、うんうん、と頷いたり共感するしかできなかったんですが、夫がちょっと落ち着いた様子になったんです。
それだけでよかったな、と嬉しかったんですが、その後夫から言われた言葉が
私がそれまでの人生で一番幸せを感じた言葉でした。
うさんちゅって癒しだね。俺、これまでそうやって思える人に出会ったことなかったから。
こういうことなかなか伝えられてないんだけどさ。ありがとう。
自信なんて関係ない
誰かの役に立って(認められて)自分に自信を得ること
これが今まで私の考える幸せでした。
でも、夫に元気になってもらおうと話を聞いたのは、上の言葉を貰って自信をつけたいからではありません。
まさかあんな言葉をかけられるなんて思ってもなかったんです。
そして不思議と、夫からの言葉を聞いて胸が熱くなり、「あぁ今死んでも後悔ないな」と妊娠している身体で不謹慎ながらも自然に思えました。
大切な人の傍にいることが私の幸せだった
私の幸せはいたって単純と言えば単純な幸せでした。
でも、きっと忙しい毎日を過ごしていたら気づかなかった幸せであり、
お腹のわが子がやってきてくれなかったら実感できなかった幸せだったと思います。
幸せのカタチは色々あるし、巷では「幸福論」について語る自己啓発本が溢れていますよね。
それはわかっているけれど、なかなか自分が幸せと感じる瞬間に気づけていない。
すぐそばに幸せはあるのに、見逃してしまっている。
私がそうだったように、今、忙しい毎日を送っている人ほど自分の幸せと向き合えていないんじゃないか、と思うんです。
長々と私の経験談を話してきましたが、一人でも多くの方が自分の幸せに気づくきっかけになれたらと願うばかりです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。